ありがとう
明日の朝食用パンを買いに行った。
若い女性の店員が『有難う御座います』と笑顔で答えてくれた。
作り笑顔ではなく、心からお客に接する態度には感心した。
こちらも気持ちがいい。
自分も体調の悪いとき、人に対してぶっきらぼうな態度を取っていないのだろうかと反省している。たぶんすかれるタイプではないだろうな~あまりしゃべらないから・・・
殺生
食事中蝿が飛んでいたので、蝿叩きで殺そうとした。
足元にもゴキブリがいたので、踏み潰して殺そうとした。
家の裏の軒先に蜘蛛の巣がかけられていて,それを取り払った。蜘蛛にしてみれば、俺の生活の基盤を壊す悪い人間と思った事だろう。
今日は鰻どんぶりだ。凄く美味しかった。でも、鰻にとっては腹を引き割かれ、火あぶりの刑だ。
肉も魚も美味しいな~・・・自分で殺さなくても、人に殺させて食べてる。同罪だ。
人間はほかの物を犠牲にして生きている。
感謝しなければ・・・・有難う。
有難うと言う言葉は仏教からきているという事を最近知った。
「有ることが難しい」と書き、めったにないことを表すのだそうだ。
私たちが人間に生まれることは大変有り難い、稀有な事だから、生まれた事を喜ばねばならないという、お釈迦様の教えから出た言葉です。
それが何故感謝の言葉に転じたか。
欲いっぱいの私たちが人のために物を上げたり親切にしたりするのは大変難しいこと。それをおこなうことはとても有難い事だからです。
仏教では人間に生まれたことは大変有り難いことだから喜ばねばならないと説かれています。『雑阿含経』の中には有名な盲亀浮木の譬喩があります。
ある時、釈尊が「たとえば大海の底に1匹の盲亀がいて100年に1度、波の上に浮かび上がるのだ。ところがその海に1本の浮木が流れていて、その木の真ん中に1つの穴がある。100年に1度浮かぶこの亀が、ちょうどこの浮木の穴から頭を出すことが1度でもあるだろうか」と尋ねられた。
阿難という弟子は「そんなことはほとんど考えられません」と答えると、釈尊は「誰でも、そんなことは全くあり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れぬ。人間に生まれるということは、今の例えよりも更にありえぬ難いことなのだ」とおっしゃっていられます。
私たちは日常、有り難いと申しますが、あることがまれだということから出た言葉なのです。
太字は書物とWebからの貼り付け。
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